Kyoto KARATE Cafe - 道友をつくろう!

中高年からの空手のススメ 

中高年からは、「文系」スポーツが楽しい!

高校のクラブなんかだと、「文系」「体育会系」と分かれていて、

年齢を重ねてそれらを続けていくと、

「体育会系」の頂点がトップアスリート、「文系」の頂点が博士学位。

「体育会系」は競技力を付ける、「文系」は研究をする。

中高年のスポーツをやっている人も、

現役に負けず劣らず競技力を保持する「鉄人路線」と、

競技力より長生き、健康寿命を目的とした「健康路線」とさまざまである。

 

ちょっと、中高年のスポーツのあり方を考えるに、この視点で整理してみよう。

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縦軸に鉄人路線↔健康路線を仮定する。上へ行くほど運動技術が高くなる。

横軸に体育会系↔文系を仮定する。右へ行くほどこちらも運動量が多くなる。

これによると、鉄人路線に行くほど、シニア競技などの現役「競技者」へと、

健康路線に行くほど、健康目的の「愛好者」へと位置づけ出来る。

また、もはや現役ではないけど知識だけがあるという人は、「審判や指導者」に、

また、競技者経験も別にないんだけど、スポーツをより健康的に文化的に研究的に楽しみたいという人には、「研究的愛好者」という位置を仮定する。

 

タイトルの『「文系」スポーツ』というのが、

実は、ここで言う「研究的愛好者」である。

私はここの位置でスポーツを楽しむのがノンストレスで一番楽しいと思う。

競技から離れると、見えてくる楽しみがある。

ルールやスタイルという垣根を外してしまえば、

もっと自由で楽しい、今の自分の身の丈にあったものがある。

 

空手で言えば、『「文系」空手』である。

別段、レスラーのように強くなる必要もないし、

段位や認定資格なども興味がない、

死ぬまで健康で、豊かな健康寿命を楽しみたい。

その健康を維持するために、面倒な筋トレや退屈な運動は嫌だし、

何かハマれるようなものがあれば、それが一番楽しい。

やはり、好きな事でないと、研究的に追及することは困難である。

好きだからこそ、無駄だと思っても追及していく。

それは、好きな異性を慕う恋心に近い。

要は、生涯スポーツを続けるためには、

この「好き」な分野を見つけるというのが大切である。

好きでもないジョギングをしても、それは続かないし、

おつきあいで初めても、やはり上手くはなれない。

 

空手に限っていうと、その特色は、

①日本の伝統文化

②武道 というのが大きい。

折角、日本人に生まれたんだから何か日本の伝統文化でも継承したい。

また、武道はやりたかったんだが、「今さら」という人も多い。

確かに武道を競技としてやると、やはりそれはハードルが高い。

しかし、健康法とレクリエーション程度と割り切ると、

ほぼ、ラジオ体操程度の運動量と言える。

さすがに、ラジオ体操では、あまりに文化的奥行きがないから、

身体によい体操で、掘っても掘っても文化的興味が尽きないというものが、

人生経験を積んだ中高年には理想的である。

 

空手の場合、それに理想的なエクササイズがある。

それが「型」である。

そこには、武術的な英知もあれば、健康的な基礎運動がある。

演武として芸術的に高めることも出来れば、

日々の健康体操として無理なく実践出来る。

そして、その動作の一つ一つに護身術的意味があり、

また、身体芸術的な表現がある。

身体によくて、美しくて、楽しいとくれば、理想である。

太極拳やヨガが、このコンセプトに近い。

 

相手と比べて、強い弱いとかに捉われるのではなく、

一つ一つの身体操作に新しい気づきを見つけ、

いつも新鮮に健康な心身を維持するようなエクササイズを続ける。

というのが中高年にはお勧めします。

もちろん、鉄人路線の中高年もいっぱいいますから、

そういう人は、生涯現役で頑張れがよいでしょう。

 

私は、空手は本当に面白いと日々思っていますから、

皆さんにお勧めします。

文系空手が楽しいと思います。

私のイメージでは、

文系空手=ラジオ体操+気功法+ヨガ+瞑想+舞踊、って感じですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北山丸太を使って木人を作ってみる!

木人、英語ではWooden Dammy、直訳すると木の人形。

中国拳法でサンドバック代わりに打撃稽古をするのに使う道具です。

これは日本ではあまり見かけないのですが、

ブルースリーやジャッキーチェンで有名になりました。

 

 

立ち木に三本、手をイメージする枝が飛び出していると考えて頂けるとよい。

日本では沖縄空手で小手を鍛えるのにもつかわれますが、

実際には、手数を出してコンビネーションや掛手(掴み)の練習に使われます。

 

空手の型をやっていると多くの掴み技が出てきます。

今、ほとんどの競技で掴み技は禁止されていますが、

もともと沖縄空手では掴む、または掴んで崩すというのが多用されています。

型の分解稽古をするのに非常に便利な道具がこの木人(拳)です。

サンドバックと違い、打とうとしてもこの手が3本飛び出しているので、

それをよけながら次の技を出す必要があり、

片手で相手の掴み、片手で攻撃をする。

また、片手で受けると同時に反対の手で突くという事を

高スピードで練習をしていきます。

実際、台湾から輸入して通販で中国製木人を買うことも出来ますが、

私にはデザイン的にこの中国趣味が合わないので、

もっとシンプルに素材のよさだけを使って木人を作ってみました。

 

 

使う材料は、日本の数寄屋建築の代表素材である北山丸太

これを使って、日本の空手道場にあっても違和感のない、

素材感だけのあるミニマムデザインの木人を作ります。

 

 

   ◆  ◆  ◆

 

北山丸太は、京都の北山杉を使って作り出された磨き丸太のことです。

もともと、日本家屋の床の間の床柱などに使われてきた高価な材料です。

しかし、今日の住宅のプレハブ化や洋室化により

この北山丸太は使われなくなってきています。

特別な化粧柱として使うために、わざわざ山で細くして作られているこの木は、

遠目に見ると大変綺麗な山を形成し、京都の環境資源の一つとなっています。

北山杉と言われる木は、この北山丸太をとるための木です。

東山魁夷は、この北山杉の群を京都の美の一つとして絵に残しています。

 

 

しかし、北山丸太が使われなくなった結果、

北山杉は山で放置されていることも少なくありません。

 

 

その為、この問題に対処するために、北山丸太の利用促進を

私も含め京都の建築士や学者、また林家や行政の人々がいろいろとやってきました。

下の写真は、北山丸太を使ったソファーです。(コクヨ:イマトコ)

 

 

先ずは、木人の設計をするところから開始です。

木人は、上段(顔の位置)から手が2本出ていて、

中段(腹の位置)から手が1本、それから膝にみたてた足が1本出ています。

それらを北山丸太を利用することを前提に設計します。

 

 

そして、作った木人が下記のもので、

北山丸太のキメの細かさが際立っていて、

通販のように毒々しいクリアー塗装をしなくても、

自然のままでこのような肌合いをしています。

これが北山丸太のよさです。

もともと、北山丸太はこの表面の綺麗な肌合いを出すために、

菩提の滝にあるキメの細かい土を使って丁寧に磨くことから、

磨き丸太と言われ、この京都北山地区の特産物となってきました。

尚、材は、北山丸太組合さんから提供をして頂きました。

 

 

実際に木人をどのように使うかというと、下記の動画のように

木人を対戦相手と思って、打撃戦を繰り広げます。

中国では、木人拳だけの型があったり、やり方があったりしますが、

ここは空手家らしく、みようみまねで即興でやってみます。

 

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この木人は、Kyoto KARATE Cafe の中に置いてありますので、

興味のある方は、稽古して頂いても結構です。

また、どうしても欲しいという方は、

上記の図面を見て大工さんに作ってもらったらよいと思います。

まあ、木人は別として、

さまざまな場面で、是非、この北山丸太を使ってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヌンチャクにも挑戦しよう!

ヌンチャクは、沖縄古武道の代表的な武具ですが、ブルースリーが有名にしてからは、世界標準の古武道具です。

本土の空手道場では、あまり、このような武具を使っての稽古はありませんが、空手のウォーミングアップや肩の鍛えにはもってこいのエクササイズです。

私はブルースリー世代なので、見よう見まねでヌンチャクは振り回していましたが、ヌンチャクも正しい伝統型が保存されています。

日本の空手道場でも、ヌンチャクや古武道を稽古に取り入れた方がよいと思います。おそらく、将来は、空手道型の競技の中にも古武道の型も入るのではないかと私は思いますが。(Bunkaiが逆輸入されたように)

 

ヌンチャクは、四方八方に自由に武具を振り回すので、足さばきの稽古となります。先ずは、ユルユルと身体を回転をして、それからそれに合わせて、ヌンチャクを振り回していきます。

 

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社交ダンスのように、軽やかに足さばきを出来るようになると、だんだんとヌンチャクの取り手や、握り方を変えて、ゆっくりとフリースタイルで振り続けていきます。

これは結構、楽しく時間を忘れて稽古出来ます。

 

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また、ヌンチャクは1本だけでなく、トンファーのよう両手で持って2本使いで振り回すことが出来ます。この場合、ヌンチャクでいきなりやると、頭を打ちますから、トンファー等を使って、手がこんがらがらないように両手持ち武具の基本の振り方をマスターしておく必要があります。

 

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これらは、全てフリースタイルの振り方ですが、やはり、空手をやっている以上、正しい伝統型を継承していくことが大切です。沖縄古武道連盟のヌンチャク型を習っている様子が下記です。

 

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中国武術が型と武器を一緒に稽古するように、空手家も古武道を一緒にやった方がよいと思います。空手と古武道は両輪と言われるのがこのことです。

特に、武具を使うと手首や小手が鍛えられ、掛手の練習になります。

 

また、古武道は、古武道だけの型でなく、空手の型に武具を持って演じることも出来ます。沖縄小林流のピンアン初段を利用してヌンチャクの稽古をしている様子です。これは思いつきの即興でやりましたが、おそらく、練ればかなり面白い演武型を作る事が出来ると思います。

 

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是非、一緒に稽古しましょう!

 

 

 

 

カキエという稽古方法

中学の時、少林寺拳法を習っていましたが、
その魅力はなんと言っても、剛法(打撃技)と柔法(組技)があることでした。
型の中で、突いたり、蹴ったり、投げたりを稽古します。
空手の場合、どうしても打撃技だけと思われがちだが、
実は空手の型の中にも多くの組技が型に内在します。
年をとって空手を始めた方は、
キレのいい型をやろうとするよりも、
こんな使い方が出来るのかと探求する方が楽しいです。
 
   ◆  ◆  ◆
 
空手の型の中には、様々な動作があります。
型稽古では、打撃力をつけるために、
一つずつの動作に極(キメ)を入れて区切りますが、
区切らないで続けると一筆書のような柔らかい一連の身体動作となります。
普段の競技空手を楷書だとすると、使える技は草書となります。
その草書化された身体動作を利用、応用して組技も学習出来ます。
別々に打撃技や投げ技を学習しなくても、
一つの身体操作を深く理解することによって、
打撃にも組技にも応用しようという発想。
この考え方が、太極拳などの中国拳法の考え方です。
その為に、型の中にあえて投げ技を入れる必要がありません。
 
沖縄空手系では、カキエという独特の稽古法があります。
中国拳法の「推手」のように手を触れあった状態から、
その手を放さずに押し引きして牽制をしあいながら、その最中に技をかけあいます。
 
 
特に、剛柔流では、型の中の柔法の技が多く、
それらを利用しての柔法が世界中で行われています。
と言うか日本だけが取り残されていると言ってもよいくらいでしょう。
 
 
写真は、カキエで剛柔流の初心者用の型「砕破」の中の最終挙動を応用して脇固めに入ったところのものです。
この技自体は反復練習すればこなせるようになりますが、
型が分かっていないと空手ではなく単なる柔術となってしまいます。
そこで、型が先か、技が先かというジレンマが教える側に発生します。
 
私も当初、「型が先」という考えがどうしてもあり、
型を覚えたところまでしか技を教えないという事にしていたが、
そうすると技を知ろうとすると型を全部覚えねばならず、
それこそ何年もかからないと技が練習出来ないという事になります。
それではいつまでたっても私の稽古相手が現れない(笑)。
それでは困ったと思い、剛柔流の型からとりあえず10本柔法の応用分解の基本技を作ってみた。
ちなみに応用分解は、どの型の身体操法からほぼ無制限に作る事は出来ます。
 
  ・撃砕 から1本
  ・砕破 から2本
  ・制引戦から1本
  ・三十六手から2本
  ・四向鎮から1本
  ・十八手 から2本
  ・久留頓破 から1本  の計10本
 
まあ、とりあえずは、これだけやっておけば、
カキエの相手は出来るのと、型を習った時に、様々な応用を独自に研究する素地となります。
但し、間違っても組技系の格技の人と同じに出来ると思ってはなりません(笑
あくまで、打撃系格闘技の余技くらいと考えた方がよいです。
ド真剣の組み技では使えませんので、
相手に掴まれた時とかの護身術程度と考えた方がよいです。
 
Kyoto KARATE Cafeは、原則自主トレですが、
私が稽古をする流れとしては、
まず、①ウォーミングアップで身体をほぐす。、
次に②各々で全身運動である型をやります。
③相手がいれば、ミットなどをもってもらって打撃稽古をやります。
いない場合は、木人やサンドバック相手で打撃稽古をやります。
④その後、カキエで組技や護身術の研究をします。
おそらく、中高年から空手を始めた方は、
このカキエが一番楽しいと思います。
また、時間があれば、⑤最後に軽く社交ダンス変わりに組手や乱撃、
あるいは道具などをすると理想的な稽古体型かなと思います。
 
稽古は、全て軽めの運動です。
ガチで組手をしたり、強さを競ったりという事は一切しません。
また、どちらかというと「強さ」より「健康」に興味があるので、
空手という文化的側面だけを追求しています。
 
まあ、流派も問わず、段位も問わず、競技にも一切関心がないので、
自分勝手に好きなことだけを稽古するというのが私にはむいているようです。
 
 
 
 
 
 

50才から始める空手

よく「年をとってから空手で来ますか?」と聞かれますが、
実は年をとってから始めた方が面白いと思う。
ちょっとイカした健康体操と思えばよい。
瞑想にもなるし、筋トレにもなるし、ほぐし体操になるという具合に。

...

小説に「オヤジ達は、ある時期から何故か珍妙な体操を始めだす」との一節があったが、
文化性の素地のない単なる体操や運動は、
日々のウオーミングアップにはなるが、共有する価値を創造出来ない。
空手の場合は、沖縄や日本の具体的な伝統文化を継承するという意味も持つ。
また、その動きの一つ一つに護身の機能を持つ実務性があるので、分かってくると実に面白い。
型は美しいに越したことはないが、その動きの意味や機能が分からないとラジオ体操と同程度の面白みしかない。
やらないよりはやった方が健康ではある。

強さを競ったり、上手さを競ったりする必要はない、
マスターベーションと同じく、自分一人が満足すればそれでよい。
必要なのは内部への深さであって、外への露出ではない

段位も資格もそんな物は、後から作った虚飾であり、別段重要なものではない。
別に空手着も要らなければ、相手もいらない。
ただ、自分一人で、好きな時に、好きな場所でやればいい。

 

 


それらを継承し続けた先人達・先輩達に敬意を表するが、服従する必要もない。

空手の目的は、作り物なし、虚飾なし、素っ裸で無一文の、「本来の自己」に安心立命の境地を目指そうとするから「空」手という。

その意味では、人生経験を積んで、悔しさも辛さも経験したオヤジ達が始めるにこそ向いている

何流空手ですか?

 
いつも質問されて困るのが「何流ですか?」という質問。
「う~ん。一応、剛柔流ではあるが、沖縄小林流もやっているし、組手のスタイルもフルコンとミックスだし、ボクシング練習もやれば、レスリングスタイルの組み技も、立ち技の柔術みたいなこともやる。これって本当に空手なのというのが実態」
「要は、伝統空手をベースに好きなことを流派やスタイルを越えてやっていると言うのが正しい」
 
今日の稽古は、
①ウォーミングアップがてら、太極拳の弓歩やユルユル身体ほぐし体操をやり、
剛柔流の型を気功法的かつ瞑想的にアレンジしたものをして、小林流の型の復習。
次に、③柔らかに推手練習から筋力バリバリのカキエの稽古、
④そのまま、相手の腕をとって掴み技の柔法稽古をしてから、フロントチョークやチキンロックに脱線。
⑤それから、さらに脱線して、グランドでの三角締めの稽古、
⑥最後に、組手の変わりに、レスリングスタイルで組み技の稽古。今日は、大幅に脱線した稽古でした。
 
う~ん。果たして、これが空手か?
また、その稽古の状態も、瞑想的な型の稽古の時以外は、ワイワイガヤガヤ、時には大笑いの、まったく緊迫感のない、子供たちがかくれんぼしているのと同じレベルの状態。
 
様々な形式の稽古をやって来て、結局、自分が行き着いたのは、この「超カジュアルお気軽路線」。服装も別段なんでも良いと考えている。空手はこうあらねばならぬ、武道はこうあらねばならぬという拘りもなし、強い弱いもあまり興味はなく、自分の心身に良い効果があり、仲間と文化的にワイワイ出来ればそれでよしと考えている。試合や審査から解放されれば、各自の好きなことを研究的にやっていればよいのである。
 
かといって、別段、無秩序や無制御の状態ではない。
論語の一節に「君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く」というものがある。
つまり「自己形成を志す者は、文化的な営みにおいて友と交流し、その中で仁愛の徳を身に付ける」という内容だ。
空手の稽古もそれでよいと考えている。道場の中心にしっかりとした空手道の考え方(文化)があれば、そういう人間が集い、そして、各々がよい影響を与え合って仁愛の徳を高める事が出来る。そこに教条的な神秘的な雰囲気は別段必要ないし、人を拘束する雰囲気も縛りもいらない。
昔は、武道的な道場訓や求道的な厳粛さにあこがれたが、何十年もやって来て、最近自分には合ってないことが分かった(笑
 
やはり、人にはそれぞれ、お似合いの個性があるのだ。
 
今の理想は、
「とらわれない心の道」⇒つまり「空」手である。
という時点で、とらわれているが。

あさカラテ

 

人生の後半生を豊かに健康に過ごし、かつ個人の高い能力を維持しようとすると、どうしても心身の管理が必要となる。
特に仕事でストレスの高い仕事をしていると、身体だけでなく、心のメンテが必要となる。その為に一番良いのが、「適度な運動を続ける」という事。

 

◆ ◆ ◆

 

私の場合、運動し過ぎて身体を壊したり、免疫力を落としたりというおバカな事ばかりやっているので、最近では如何に体に良い運動をするかという事がテーマ。

 

そこで、密かに実践しているのが「あさカラテ」
コンセプトは、次の通り。


いつもより、朝小一時間早く起きて、公園で一人で太極拳のようにゆったりと伝統空手の型をやるというスタイル。ガキの頃からやってきた空手で健康になるのならば、私にとってこれ程いいことはない。
今まで、膝を故障したり、鬱になったりした経験から、「身体に負担なく筋力を鍛え、身体の細部まで力の流れを意識し、舞いのように優雅に動く」という運動が心身に効果的だと考えている。
特に、リズミカルで静かな呼吸動作を伴いながら、身体の細部の動きだけを観察していくような瞑想的運動がよいと実感している。頑張り過ぎる運動は却ってストレスとなる。
その「ゆったりさ」は大分研究してきたから、知らない人が見るとおそらく太極拳にしか見えないと思う。

私にとって、「あさカラテ」は健康目的で、「よるカラテ」が武術的な稽古。
「よるカラテ」は道場で、空手の技術研鑽や必要な筋力を付けるための稽古。

◆ ◆ ◆

仮に、「あさカラテ」をとるか「よるカラテ」をとるかと問われたならば、「あさカラテ」をとるでしょうね。
やはり健康第一