Kyoto KARATE Cafe - 道友をつくろう!

中高年からの空手のススメ 

何流空手ですか?

 
いつも質問されて困るのが「何流ですか?」という質問。
「う~ん。一応、剛柔流ではあるが、沖縄小林流もやっているし、組手のスタイルもフルコンとミックスだし、ボクシング練習もやれば、レスリングスタイルの組み技も、立ち技の柔術みたいなこともやる。これって本当に空手なのというのが実態」
「要は、伝統空手をベースに好きなことを流派やスタイルを越えてやっていると言うのが正しい」
 
今日の稽古は、
①ウォーミングアップがてら、太極拳の弓歩やユルユル身体ほぐし体操をやり、
剛柔流の型を気功法的かつ瞑想的にアレンジしたものをして、小林流の型の復習。
次に、③柔らかに推手練習から筋力バリバリのカキエの稽古、
④そのまま、相手の腕をとって掴み技の柔法稽古をしてから、フロントチョークやチキンロックに脱線。
⑤それから、さらに脱線して、グランドでの三角締めの稽古、
⑥最後に、組手の変わりに、レスリングスタイルで組み技の稽古。今日は、大幅に脱線した稽古でした。
 
う~ん。果たして、これが空手か?
また、その稽古の状態も、瞑想的な型の稽古の時以外は、ワイワイガヤガヤ、時には大笑いの、まったく緊迫感のない、子供たちがかくれんぼしているのと同じレベルの状態。
 
様々な形式の稽古をやって来て、結局、自分が行き着いたのは、この「超カジュアルお気軽路線」。服装も別段なんでも良いと考えている。空手はこうあらねばならぬ、武道はこうあらねばならぬという拘りもなし、強い弱いもあまり興味はなく、自分の心身に良い効果があり、仲間と文化的にワイワイ出来ればそれでよしと考えている。試合や審査から解放されれば、各自の好きなことを研究的にやっていればよいのである。
 
かといって、別段、無秩序や無制御の状態ではない。
論語の一節に「君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く」というものがある。
つまり「自己形成を志す者は、文化的な営みにおいて友と交流し、その中で仁愛の徳を身に付ける」という内容だ。
空手の稽古もそれでよいと考えている。道場の中心にしっかりとした空手道の考え方(文化)があれば、そういう人間が集い、そして、各々がよい影響を与え合って仁愛の徳を高める事が出来る。そこに教条的な神秘的な雰囲気は別段必要ないし、人を拘束する雰囲気も縛りもいらない。
昔は、武道的な道場訓や求道的な厳粛さにあこがれたが、何十年もやって来て、最近自分には合ってないことが分かった(笑
 
やはり、人にはそれぞれ、お似合いの個性があるのだ。
 
今の理想は、
「とらわれない心の道」⇒つまり「空」手である。
という時点で、とらわれているが。